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ごめんなさいぃ〜
2007 / 04 / 05 ( Thu ) 長らく長らく放置にしてしまって大変申し訳ありません。
産後の忙しさにかまけて、すっかりブログを開いてませんでした。。 このブログをどうしようか悩み中ですが、出産体験記は完結させたいと思っています。 |
前置胎盤〜ウテメリン戦の巻その2
2006 / 09 / 29 ( Fri ) 前回からの続き
ルパンがこれから来てくれるってことで私の心は大分落ち着いた。。。 落ち着いたけど夜中から投与量が増えたウテメリンのおかげで、脈拍はバクバクドキドキ。 微熱も鼓動も止まらない。 ゼエゼエハアハアですがな!!! ほんと、走った後の犬のようにハッハッハッハ・・・言うてますがな!!! 点滴交換やら食事の準備で看護婦さんが入れ替わり立ち代りはいるたびに、 「大丈夫ですか?」 と聞かれるけど、大丈夫なわけないだろ!!!お前、どこに目、つけとんやああって感じですわ。。 あまりのハアハアさに、脈拍を測ってもらったら、なんと 111!!! 胎児なみの脈拍です(大人は普通50から60で、胎児はその2,3倍)。 看護婦さんも、ベッドでうつぶせ状態で顔だけ横に向け、ハッハ言うてる私をみて、かわいそう・・・と思ったようで、 「おなかも今、張ってないし、先生にウテメリン下げるよう頼んでくるわ!」 と言ってくれたものの、先生の答えはNO.(涙) もうだめだぁ。。。でもがんばらなきゃぁ・・・と思いつつも、ウテメリンの投与量と体のバランスがとれず、ハアハアは続く。。 もしかして、肺に水がたまっているのではないかと言われ(ウテメリンを大量投与するとそういう心配もあるらしい)、ハアハアいってんのに、車椅子に乗せられ、4階から1階のレントゲン室で、レントゲンを撮ることになった。 この時期、赤ちゃんにはレントゲンは影響はないとはいえ、一応、10kgのカバーみたいなのを持たせさせられる。。 ううううううううう・・・・重いっちゅうねん!!!!!!! 脈拍111の妊娠8ヶ月の女にこんなもの持たせやがってええええええええええええ。 なんとか病室にほうほうのていで帰ると、レントゲンの結果、肺に水はたまってないけれど、薄い影が微妙に移っているので(なんだそらー)、ウテメリンを下げてもらうことになった。ラッキィ!!! 次なにかあったら、マグネゾールをさらに投与しましょうということに。 はー、もうやっと、だよ。。 点滴と調節しながら、看護婦さんが 「大丈夫ですか?」 と聞いてくるので、 「・・・大丈夫じゃないですけど、赤ちゃんが無事ならいいです。」 とやっとの思いで言うと、 「この前もウテメリンで苦しんでた妊婦さんが同じこと言ってました。 母親ってすごいですね」 と言われた。この言葉を言われた瞬間(っていうか、これ入力しながらの現在も)、涙がはらはらとこぼれた。 何の涙なんだろ・・うーん。私だけじゃない、他の妊婦さんもがんばっているっていう思いと、母親になったんだ、強くなってるんだっていう思いと、その、以前の妊婦さんの辛かっただろうなっていう思いに心が寄せられて・・・とにかく、涙がはらはらとこぼれてしまった。 それからあとは、不安ね、不安。ぶっちゃけ、不安ですがな。 こんな思いして、もし、赤ちゃんが無事生まれなかったら・・・? そして、子宮も取られるはめになったら・・・? 私は正常でいられるのか。ルパンとは今後どうなるのか。 その後の生活はどうなるのか。 なんて、赤ちゃんをさしおいて、非情な自分勝手なことも一方で考えてたのですよ。 とにかくこの頃は、純粋に赤ちゃんを助けてって想いと、赤ちゃんがだめだったら、子宮がなくなったら、その後の私はどうなるんだろうっていうどろどろした想いとが交錯している日々でした。 あー、やだやだ。。 で、話は戻り、ウテメリンが下げられるという現実に心が軽くなり、だんだんと動悸も落ち着いてきたころに、ルパンもやってきてくれました。 あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。私は君を待っていたよ。 誰よりもルパンを待っていたよ。 ルパンが 「もう大丈夫よ」 と手を握ってくれてるので、1時間ちょっとしか寝れてなかった私は安心して深い眠りについたのでした・・・。 |
前置胎盤〜ウテメリン戦の巻その1〜
2006 / 09 / 11 ( Mon ) 前回の続き。
*********************************** そうして、私の入院生活が始まった。 スケジュールはこんな感じ。 朝:おなかの張りと心音のモニター 40分 抗生剤投与 1時間 増血剤投与 3分(貧血のため) 昼:おなかの張りと心音のモニター 40分 抗生剤投与 1時間 体拭き 夜:おなかの張りと心音のモニター 40分 その他、週に1度、自己血貯血のための採血と、皮下注射があって、それ以外は絶対安静。 お風呂、シャワーもだめなんっすよ!!!毎日、看護師さんに体拭いてもらってました。 毎日3回、おなかの張りと心音をチェックするモニターをつけるのは、おなかの張りが続くと、出血を引き起こすからなのだ。 この張りが、入院当初、ちょっと続いたので、すぐに張りを止めるウテメリンの薬をもらったんだけど、張りがとまらないので、24時間ウテメリン点滴生活に入りました(涙 このウテメリンって、副作用があって、発熱、動悸が起こるんだよね。。 最初は1時間あたり30アンペアという量だったので、ちょと熱っぽいなって感じだったの。 そ、それが!!!!!!!! 入院して一週間目の夜、夜のモニターで1時間に3回以上おなかが張ってるのがわかったのよ。 そしたら、じゃ、ウテメリンの量をあげましょうってことで、30→40にあがったのさ。 張りも落ち着いたようだし、ほっとして、もう22時で消灯時間だし寝よう〜って、寝る準備をしてたら、、 んっ・・・・・・・!?! なんか、おなかが張ってるぞ。 もういちど張ったらナースコールしよう。 10分後、もう一度おなかが張る・・・ うぅーん。。。なんでだろ!?ウテメリンあげたのにさぁ・・・ ってことで、ナースコールしたら、もう一度モニターをつけることになった。 で、やっぱり、張ってるんだよね。ってことで、ウテメリンちゃん、もう10アンペアアップです〜〜〜!!! そのころ、もう、23時。 もう大丈夫だよね♪ と、寝ようとしたら、また、また、キュンキュンキュン・・・!とおなかが張る〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!! うううう、嘘でしょ、嘘でしょ と軽くパニクりながら、またナースコール。 この23時から3時まで、ウテメリンを10ずつアップして、3時の時点でウテメリンは80アンペアに!!!!! ぎゃー。 私の心臓はウテメリン副作用でドキドキバクバク。体が超しんどい! 発熱もすごくて、多分、38度はあったとおもう。 横向きで寝ながら、おなかをなで、 「オマメ、いまはまだ出てきちゃだめだからね。 あんたの肺、まだできてないのよ。いま、出てきたら危ないんだよ。 母さん、がんばるから、オマメもがんばって! 子宮さんも胎盤さんもお願い、32週までのあと3週間、お願いだから がんばってぇぇぇぇぇ」 と、かたり続けた。 しかし、張りは続くよ、どこまでも〜〜〜〜〜〜〜〜♪ 看護師さんもこれ以上どうしたらいいかわからず、ウテメリンの指示を医師ルームからしていた当直の先生もこれはやばいと思ったらしく、超音波で子宮をみてみようということになった。 そうか、じゃ、診察室へ行くのね、この真夜中に、、と思ったら、 動いて出血したらやばい! ってことで、なんと真夜中の大部屋に超音波の機械が運ばれることに!!! うおー。同室の皆様、ごめんちゃいよ〜〜〜〜〜〜〜〜。 真夜中の病室にガラガラゴロゴロとでかい機械が運ばれ、私はおなかを出し、超音波が始まった。 おなかに機械をあて、画面をじぃ〜っと見る優しそうな女の先生。 しばらくおなかの上で機械を動かし、画面を確認してから、先生は、 「子宮の中で出血はしてないみたいね。胎盤もちゃんとついてて、はがれてないし、赤ちゃんも元気ですよ。 もう、これ以上ウテメリンをあげてもお母さんもしんどいだけだろうから、(このころ、すでに5時だった)朝の7時まで寝ましょう。 で、7時にまたモニターつけて様子みましょうよ、ね?」 と言った。 いや〜〜〜〜〜〜、そのお申し出はありがたいんすが、正直眠れないっす!この状況で! 10分ごとにおなかが張る。そのたびに、出血するんじゃないかと気が気がじゃない。 すぐ帝王切開になってもいいよ、私は。でも、オマメはまだ呼吸器官できてないんでしょ〜〜!?いま、オマメを出せないよぉ・・・。 しかし、先生も看護師さんも、「じゃ、また2時間後に!」と去っていくので(あああぁぁぁぁぁ〜〜〜)私は携帯でニュースチェックしたり、その頃やってたワールドサッカーの日本対ブラジル戦をちらっと見て、5時過ぎにやっと眠りに落ちたのであった。 だがしかし!!! 6時にまた、張りで目が覚めちまっただよ・・・。 あーん。。もう1度張ったらナースコールしようと思った。思っていた。 思っていたらっ・・・! 「アガサさん、大丈夫です?」 と、ちょうどいい具合に看護師さんがきてくれた。 じゃぁ7時にねといいつつ、やはり気になってくれていたようだ。 「いま、ちょうど1回張ったんで、目が覚めたんです。」 というと、すぐ先生を呼んできてくれた。当直の優しそうなさっきのあの女医さん。 「もうこれ以上ウテメリンをあげても効果がないと思うから、マグネゾールという薬をいれてみるね。これはこれで、体がだるくなるっていう副作用があるから、すごくしんどくなったら言ってね」 と。 これ以上の動悸や発熱は私も耐えられないなと思っていたので、その申し出に同意してマグネゾールとやらを点滴してもらうことにした。 この頃、6時半。ルパンもそろそろ起きるころなので、昨日の22時から今までの私の戦いをメールした。 するとすぐに返信があって、今日なら休みも取りやすいからってことで、急遽病院に来てくれることになったの♪ あーーーーーーーー、なんか、夫婦っていいなって思いました。 ルパンが来てくれる、それは別におなかの張りを止めることにはなんの助けにもならないでしょう、でも、精神的にすごく安心している自分がいるのがわかった。 おなかのオマメにも急いで 「もうすぐ、父さん来てくれるからね。3人でがんばろうね。 32週までがんばるんだよ、ねっ。 母さんも動悸や熱で辛いけどがんばるからね。がんばれるからね!」 と話しかけた。 前置胎盤〜ウテメリン戦の巻その2〜に続く。 応援のクリックを! |
前置胎盤〜そして入院の巻〜
2006 / 09 / 09 ( Sat ) 前回の続き。
******************************************** そして私はルパンが来る夕方まで、入院する4人部屋で待つこととなった。 「トイレ以外はベッドから出ちゃダメ」と言われ、そんなに深刻なのかと状況をつかめないまま、入院荷物をほどいていると、父が来た。 売店で私が用意してなかったコップや箸を買ってくれ、しばらく話をしてから、まあとにかく今日は他にはすることないしってことで帰っていった。 それからほどなくして、今度は亡き母の姉である伯母が新幹線で1時間ちょいかけてやってきてくれた!!! いやぁ、いいのにさ。。でも、母代わりしてくれてるんだと思う。 「心配だから、ルパンくんが来たら一緒に先生の説明聞いてから帰るわ!」 と言ってくれたし、感謝感激。 先生に何言われるんだろう?と思いつつも、伯母と雑談し、ルパンを待った。 そして、17時過ぎ。ルパンが病室にやってきたので、ナースコールで看護師さんを呼び、私は車椅子(!!!)で、ルパンと伯母とともに医師の待つミーティングルームへと行った。 大げさだなぁと思いつつも、ルパンに心配してもらえるのがちょっと嬉しかった私。でも、そんな嬉しさなんて数分後には宇宙のかなたに吹っ飛ぶのだった。 部屋へ入ると、主治医となるI先生と、その補佐でインターンのM先生がいた。2人とも真剣な顔だ。 こっちも、真剣になってしまう。。 長テーブルの向こう側に2人の医師、そして、私たち3人が向かい合わせに座った。 私がこれまでネットや本で得た知識である前置胎盤の一通りの説明をしてくれ(胎盤が子宮にかかっているので自然分娩は不可能。帝王切開になる等々)、ルパンと伯母はふんふんと聞いていた。 そして、I先生は、さらに付け加えた。 I先生:「アガサさんの場合は、前置胎盤のなかでもさらに胎盤の位置が悪く、普通は子宮口から、背中側に胎盤がかかっているものなのですが、彼女の場合は、おなか側にかかっています。 つまり、帝王切開で切開する位置に胎盤があり、大量出血の可能性が非常に高いのです。 大量出血が始まると、母体はもちろんのこと、胎児にとっても危険です。 胎盤から胎児に運ばれる酸素や血液が、運ばれなくなるからです。 いま、まだ赤ちゃんは28週目の8ヶ月で、呼吸器官が出来上がっていません。そのため、今、出産することは非常に危険です。 幸い、今は出血は止まっていますので、呼吸器官の出来上がる9ヶ月にはいる32週目まで、絶対安静で出血を避けたいのです。 その間に、アガサさんの自己血も、出血した場合に備えて、採血していきましょう。1リットルは採っておきたいと思います。 32週までもてば、次の目標を34週におきましょう。 その次は臨月になる36週。臨月になって陣痛が起こったらまずいので、36週に入ったらすぐに帝王切開にしましょう。 また、出血がいつ起こるかは誰にもわかりません。 次に出血が起こったら、大量出血になるまえに帝王切開することがのぞましいので、何週目であっても緊急帝王切開になります。」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ え!?!?! アガサ:「ぼ、母子ともにハイリスクってことですか?」 I先生:「そうです。非常にハイリスクです。出血が大量になると、子宮摘出をすることにもなります。今回が第一子ですので、なるべく避けたいことではありますが。。子宮摘出するか、死ぬかでは、子宮を摘出したほうがいいでしょう。」 アガサ:「そっ・・・・・・・・・それはそうですけど・・・・」 ことの重大さにここいらで初めて気がつき始める私。 顔がどんどん青ざめていく。 赤ちゃんはどうしても助けて!!!私のことももちろん助けて!!! そのためには子宮はこのさい、どうだっていい。 すぐにそう思った。 アガサ:「わかりました。先生にお任せします。最低32週まで安静、そして手術時出血しても、子宮をとれば、母子ともに助かるのですね?」 I先生:「いいえ、そうとは限りません。実際に亡くなられた方もいらっしゃいます。」 アガサ:「・・・・・・・・・・・・・・!!!!!!」 ルパン:「そりゃ、そうだよ。」 アガサ:「・・・・・・・(お前が言うな!!!)」 ここで、I先生はフゥと一息ついて、 I先生:「アガサさん、出産というのは、生命をかけた作業なのですよ。日本では100万人の人がお産をしたら、現在でさえ、20名ほどの人が命を落とされてます。 私はどんなお産であっても、終わるまでは本当に怖いです。 何が起こるかは始まってみないことにはわからないのですよ。」 と言った。 そっ、、、、、、、そうですよね、そうですよね。。そりゃそうでしょうともよ。 でもこんな宣告って辛すぎる〜〜〜〜〜〜〜 毎日毎日、出血しないことを祈って最低あと4週間過ごさないといけないんですね・・・。 赤ちゃん、大丈夫かなぁ。。32週前に出血しても、ちゃっちゃっと手術して、手術中に大出血しても、赤ちゃんだけ、ささっと取り出しておくんなまし。。あとは子宮とってもらってもかまいません!!! かまいませんから、私のこともどうか助けてください。 2人で助からないと意味ないんです。 赤ちゃんだけ助かっても、育てる母が最初からいないなんてダメです。 かわいそうすぎます。 私だけ助かっても、意味ないんです。その後、私はどうしたらいいんですか? 2人ともダメなんてやめてくださいね。ルパンはその後どうなるんですか? どうかどうか2人とも助けてください。 お願いします お願いします お願いします 亡き母に祈り、おまめにがんばるんだ!と話しかけ、自分にも渇をいれまくる長い入院生活がこの日、この瞬間から始まったのでした。 応援のクリックを! |
前置胎盤〜えっ、出血!?の巻〜
2006 / 08 / 20 ( Sun ) そろそろゆっくりと前置胎盤の入院と出産について振り返っていきたいと思います。
本当にゆっくりの更新になると思いますが・・・。 ******************************************** 2006年5月、妊娠7ヶ月目にして、部分前置胎盤と診断された。 次の検診で胎盤が動いてなければ、総合病院に転院してもらうと言われ、ネットでいろいろと前置胎盤について調べた。 出血するとすぐ入院になるんだなってことがわかり、少し早いけど、赤ちゃんのものや入院準備を始め、大分整ってきた6月13日朝7時、朝食を準備していると んっ・・・!?!?! 生理が始まったときのような感覚を下腹部に覚え、下着を下ろす。 何もついてない。 でも、血が降りた気がするの〜〜〜と思い、テーブルのティッシュを一枚取り、あそこ(きゃっ)を拭くと・・・・・・ ア〜〜〜〜ん、やっぱりぃーーーーーーー! 薄くだけどしっかりと血がついてました。 慌てて病院へ電話すると、入院準備をしてすぐ来てくださいとのこと。 ルパンとあわただしく準備をして、その間、可燃ゴミを出そうとして怒られながら、7時半過ぎ、病院へ到着。ルパンはそのまま仕事場へ。 病院で内診されたときにも、また、血がどろっとおりてきて、赤ちゃんは無事に動いているということと、推定体重が1500gあることを確認して、すぐに大学病院へ転院することが決まった。 先生には、 「血が大量に出てるから、もしかしたら今日出産かも。 本当なら、32週まで待ったほうがいいんだよ、いままだ、28週だからね、早すぎるんだけど、、、でも、大量出血になったら、母子ともに危ないからね。いずれにせよ、2,3週間以内の帝王切開になると思うから。」 と言われ、 きょっ、今日かよ!!!今日、出産かよ!?! と、超不安になりつつも、呼ばれたタクシーに乗り、大学病院へ行って下さいと告げた。 見慣れた市内の景色を見ながら、県内に住む父と県外に住む妹、伯母(亡き母の姉)へメールで連絡し、それから、大学病院近くに勤める叔母(父の妹)へ電話した。 叔母:「・・・もしもし、アガサちゃん?どうしたん?」 私:「おばちゃーん(この辺から涙涙・・・)。今朝出血してからねぇ、、大学病院に転院になったんよ。赤ちゃんはいまんとこ無事なんだけど、もしかしたら今日帝王切開かもって・・・」 叔母:「ええっ、まだ、8ヶ月でしょう!?・・・もっとおなかのなかで育てたいよねぇ。。お兄さん(私の父)は病院へいくって?」 私:「メールでは来るっていってたけど、いいっていったんだけど、来るかも」 叔母:「わかった。今日はおばちゃんにできることはないかな?また、どうなったか連絡して!行ったほうがいいなら行くけぇ!」 電話を切り、また窓の景色を見ながら涙した。 今日、生まれるのかな、私の赤ちゃん・・・。1500gで大丈夫かな。。。 私、今日産む勇気あるかな・・・どうしよう・・・。 おなかをさすり、大丈夫だよね、大丈夫だよねと言い聞かせていたら大学病院の入院棟へ着いた。 支払いを済ませ、荷物を持って、産婦人科の病棟へ行き、ナースステーションで、 「○○病院から本日転院のアガサですが」 というと、看護婦さんがポカンとした顔をしたあと、後ろの看護婦さん4,5人合わせて立ち上がり、 「ええっ!?!?!あんた、歩いてきたん!?!」 と叫んだ。 ハァ!?歩いてくるわけないじゃん!!! と思い、 「タクシーですが」 というと、 「救急車で来るとおもってたんよ!」 と言われ、そのまま診察室へ入るように言われた。 え〜、あんだよ、なんだよ。救急車でくるようなひどい出血じゃなかったけど、、、と思いながら診察室へ入ると、医師たちがあわただしく血相変えて入ってきた。 えっ、なになに!?と思う間もなく、下半身はすっぱだかになり、内診台へ上らされる。 個人病院のそれとはちがって、大学病院では、内診台があがると、私の体は普通に座ってる状態から、90度動かされた状態になり、なんていうの、とにかく、肛門まで見える状態っすよ、奥様!!! しかもしか〜〜〜〜〜も、個人病院では医師と看護婦さんの2人にしかみられなかったのに、医師+インターンで6人が、しげしげと私のあそこを見るではないのっ!!! 私ってどうなるのという不安と、屈辱(?)とで、私の頭は真っ白に。 胎盤が・・・とか、どうたらこうたらいってる声が聞こえてきて、しばらくして、インターンが立ち去った後、医師に、 「前置胎盤ですね。出血は今、止まっています。 帝王切開になりますが、とても危険な状態です。 ご主人と話がしたいので、今日来ていただけますか?」 ・・・・・・・・・・・・・・・・え? なにがどう危険なのっ?帝王切開さえすれば、母子ともに健康ってやつじゃぁないの!? とにかくルパンに連絡し、夕方、病院にて、医師と話をすることとなった。このときから、私とルパンとおまめは、前置胎盤と戦う日々を送ることになるのだった。 |
産んだよ〜〜〜!
2006 / 07 / 31 ( Mon ) あー、ごぶさたです。
6月13日朝出血後、そのまま総合病院へ強制転院の絶対安静で、8月1日を出産予定日としてましたが、7月16日午前3時に2度目の出血があり、部分前置胎盤のためこれ以上の出血は危険ということで緊急帝王切開し、同じ日の午前7時2分に2500gのおまめを産みましたぁ! 2500gあったとはいえ、おまめはまだ9ヶ月の早産なので、私は今日退院しましたが、おまめは今週の土曜日、本来の臨月になる週に退院です。 またおいおいみなさまのブログにもおじゃまします。 土曜より一ヶ月、お義母さんもきてくれる予定なので、PCつついてられないとおもうので(汗)ホント、おいおいになりますが・・・ごめんねぇ。 でもって、前置胎盤についてもリポートしたいとおもいます。 100人に1人の可能性だから、役立つ情報になるかなともおもって。 では、ご報告まででした。みなさまこれまで本当に応援ありがとう!!!無事母子ともにハイリスクから生還しました!!! 本当に本当にありがとうございました。 |




